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「麒麟がくる」の中で書かれた曲「悠久の灯」の歌詞を読み心に去来したこと

✏️「麒麟がくる」の中で書かれた曲
「悠久の灯」の歌詞を読み心に去来したこと😌

先日、ラジオでメッセージをくださった皆さんの
サントラアルバム当選者発表があったのですが、
本日も、その想いに感謝して、
ラジオではサプライズプレゼントを用意しています。

そんな、まだ熱が引かない「麒麟がくる」のファンの方がたの中で、
作曲家のジョングラムが、書いたこの曲について、どんな歌詞だったのだろうという声を
耳にしました。

そこで、今日はその曲の歌詞に焦点をあて、
どんな想いを私も感じて歌ったのかを書くことにしました。

ジョンは、この時、ヴォーカルフューチャーした曲を書くとのことで、
ありがたいことに、わたくしのCDを全部聞き、どこの音程が一番、声が光り輝くかを検証し、

この曲を書いてくださいました。本当に有難いことです。改めて、ジョン、ありがとう。。。

・・・この曲を聞いた時、
正直、言葉がでなかったのです。

魂を包み込まれ、許されていくような、そんな気持ちになりました。

当時は、不安定な戦国情勢や生活環境のため人々の寿命は、短命であり、
物事を達するには一世代では難しかったと思われます。

「麒麟がくる」に登場した人物達は、それでも、それぞれの大義のために大志抱き、
次の世代が迷わぬよう道を照らそうと、この世を去る際、「志」を託そうと思ったと思います。

それをジョンは、「意志の灯り(Kindling)」とイメージし、
いつまでも消えずに続く、エコーのように続く、
「悠久の灯」というタイトルに辿り着かれたのだと、歌詞を見て感じました。

ジョンが書いたこのヴォーカル曲は、
「戦乱の世」を必死で生きた人物たちを、天の目線で包み込み、
見守る曲であること、彼らの意思が叶わずに死を迎えても、
次の世に繋がるような普遍的なメッセージ性を持っていました。

もちろんこの歌は、戦乱の世そのものについて語っているのではなく、
現代に住むわたしたちの想いと、戦乱の世に生きた人たちの想いを
つなぐような役割もしていると感じました。

曲の歌詞は、
「子供の手にある船が 宙の海を駆け巡る
残された衣服、空っぽの部屋
(持ち主の)帰りを待ちわびている
途中で止まったゲームと共に」と始まります。

歌詞に出てくる
Scattered gamesは、「あまりに突然の予期せぬ出来事により、
放り出されてしまったチェスやバックギャモン(双六)などのゲーム」のことで、
「志の途中の断念された夢や冒険」を重ね、表現されていると感じ、
その想いを心に投影しながら、声に乗せて歌いました。

「私たちにはわからない
どうやって失うかを
誰にもわからない
最後の別れを告げる日は・・・

When they’re gone・・・
去ったとしても
消えたとしても
響き続ける、私たちに呼びかける・・・」

こう歌っていますが、歌詞に重ねられた想いは、こうではなかったのかと推測しました。

身体がなくなったとしても、
命絶え果てたとしても、
想い、志、は消えず、
その人を慕った人がその志をまた紡いでいこうとする。光秀の想いが受け継がれたように。

この「悠久の灯」という曲は、
光秀の妻、煕子が息を引き取る前に、最後に光秀と語ったシーンで流れました。
(流れた曲は歌詞のないヴォカリーズ版ですが)

志を真ん中に懸命に生きてきた日々と、
その苦悩から解放され、安寧な世界へと旅立っていく・・・。

お迎えとともに、
いつまでも大切な人の心に生き続ける光となること、
永遠に絆を重ねあわせることの美しさを
この曲は、表現していたと感じ、
涙して歌いました。

この曲を通して、
聞いた皆様の心に、
たとえ、これからの人生の中で、
誰かと離れ離れにならなくてはならない切なさがあったとしても、
物理的に離れるからこそ感じる、
心に生き続ける想いを感じていただけたら・・・。

リフレインする歌のフレーズとともに、
何度も心に想いが宿り、
生きていくこれからを、
支え続けてくれるのだと・・・。

その平穏が心に届けばと思っています。

本当にいろんなことがあった昨今でしたが、
みなさんの心が穏やかに、幸せになること
歌を通して、お祈りいたしております。

感謝をこめて
堀澤麻衣子

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